■三宅島の玄関口のひとつ”錆ケ浜港”。。。島の西側、阿古地区に位置し、桟橋は海に大きく突き出していて、休日ともなると沢山の釣人達が釣りをしています。
また、ここには島の漁協(三宅島漁業協同組合)があり、大きな漁港が併設されています。今回の噴火以前はその漁港から御蔵島行きの定期船が就航していましたが、現在はありません。御蔵島へは、東海汽船の大型船が、東京竹芝〜三宅島〜御蔵島〜八丈島へと毎日就航しています。しかし、船が大きいだけに、天候や海況に大きく影響されやすく、三宅島〜御蔵島間の定期船再開が待たれます。
三宅島の西南西の沖合い約10kmのところには大野原群島、通称”三本岳”と呼ばれる岩礁帯を望むことが出来ます。そこは、とても豊な魚場であり、ダイビングスポットであり、磯釣り師達の聖地でもあります。私も「何時かは行って釣りをしてみたい」と思っています。さて、今回の渡島は、三池港から入り、錆ケ浜港からの帰京となりました。船が桟橋をゆっくりと離れていく。この時はいつもいつも感慨深い思いに駆られます。船足がゆっくりなだけに...三宅島をゆっくり離れていくだけに...後ろ髪を引かれる想いです。
そして次第に島が小さくなっていきました。 すぐにまた来ます。
 

二酸化硫黄濃度
レベル4:
   5.0ppm
レベル3:
   2.0ppm
レベル2:
   0.6ppm
レベル1:
   0.2ppm

警報や島内アナウンスには充分気を付けて行動しましょう!










「2000年噴火後初渡島」

2005年5月

また、島では伊勢海老、トコブシ、サザエ等の漁も盛んに行われています。

◆湯の浜の港では、漁師さんが、今朝の漁で取れた魚を下処理していました。今日の水揚げは少なかったようです。これからのシーズンは、カンパチやムロアジ、タカベ、トビウオ等、沢山の水揚げがあります。

砂防ダム

湯の浜漁港

■島への一般の受け容れ解禁が丁度ゴールデンウィーク中でしたので、沢山の人々が三宅島を訪れました。私は、4年半ぶりに島を訪れ、自分の目で現状を見てまわり、島人の話を聴き、実際に二酸化硫黄ガスの悪臭も体験しました。 
2000年夏、火口の土砂もろとも高さ数千メートルにおよぶ噴煙を突き上げ”雄山”が大噴火し、島全体に降り積もった火山灰は雨によって土石流となり、低い土地に流れ込み、噴火の影響で島全体が約数十cm地盤沈下し、火口からの大量な二酸化硫黄はあたりの森を枯らし.......と、大自然の力の大きさを改めて感じました。

錆ケ浜港桟橋

坪田

三七山

■湯の浜の堤防は、私が生まれて初めてメジナ釣りをした思い出の場所。
地元では「ピンタッコ」と呼ばれる、手のひらサイズのメジナを釣り上げてから、本格的な磯釣り師へのロードが始まった。
当時は、手前の橋梁は無かった。

■三宅支庁を過ぎ、坂を登りきったところの水色の鉄橋「ともじ橋」から、大久保浜を見下ろすことが出来る。島のほぼ真北に位置し、綺麗な黒石の浜が続く大久保浜は、沢山のダイバーが訪れる人気のダイビングスポットとしても有名である。 

■「富士箱根伊豆国立公園」碑のある三七山に立つ。昭和37年の噴火によって出来た溶岩の山。向こうに見えるのは「ひょうたん山」。
今回の噴火といい、幾度となく繰り返されてきた噴火。
改めて火山の島を実感する。
自然の造形美がここにある。スケールの大きさと、とにかく美しい景観が広がっている。

■どれほどの火山灰が降り、堆積しているのだろう。
泥流が流れた場所には至る所に「砂防ダム」が設置された。大雨が降ると、この水道を下り、濁流となって海まで達し、流れ込んだ一面の海域は、たちまち泥で濁ってしまう。

■蒼い海。
三宅島独特の黒い砂利浜に、打ち寄せる白い波が続いている。
雄山が噴火する前も今も、寄せては返すを繰り返す。
「三池浜」を少し高台より臨み見て、その美しさに、暫し感動。 

■陸地から海に向かって突き出しているのは、島の玄関口である「三池港」。以前は、島の太鼓で迎えてくれた。現在、ここは高濃度地区のため、船の発着時以外は立入り禁止区域になっている。長い間、放置されていたコンテナもクレーンも火山ガスにさらされて茶色く錆びている。両サイドの建物が、お土産屋だったなんて思えない。

■三池港から都道を内回りに北上する景色に、立ち止まってシャッターを切った。広がる磯際の向こうに見えるのは「サタドー岬」。数十メートル崖上の白い灯台は、行交う船舶の航行の安全を見守っている。

■立ち枯れの大樹は死んでしまったのだろうか?
広がる森のどこかできっと、ひとつの新芽から幾年かの歳月をかけてでも、間違いなく森は再生していくだろう。何故なら、既に大地は次なる息吹を育んでいる。
三宅島の「再生する力」は、人間の想像を遥かに越えて及ばない。時に残酷に、時に優しくを繰り返す自然の摂理の前には誰も抵抗できない。だからこそ、総ての生命は強く逞しく根を張っていく。ここにいて私は、この島のエネルギーを全身で吸収する。

◆2000年夏
三宅島「雄山」が突然、大噴火した。
9月初旬、全島民は一斉に避難した。
あれから4年半が過ぎた今年2月、ようやく避難解除が出された。
私は、4月下旬、久しぶりに島を訪れ、降り立った港からの光景に言葉を失った。
大量に降り積もった火山灰は雨で土石流となって至るところに爪跡をのこし、降り注ぐ火山ガスは風下の山肌をなめるように、緑の森をすべて立ち枯れの森に変えてしまった。それでも未だになお、三宅島「雄山」は高濃度の火山ガス(二酸化硫黄)を放出し続けている。



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磯の踊り子

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